プロフィール・棋歴
11歳にして奨励会に入り、高校までは家で内弟子となる。
山崎は1992年、11歳のときに、森信雄門下で奨励会に入会。
中学時代は、家で内弟子として暮らした。順調に昇級昇段を重ね、1995年6月、中学3年のときに三段となる。三段リーグでは苦戦し、在籍した5期(2年半)の勝率は5割台であった。プロデビュー後、特に3年目以降からは、一転して非常に高い勝率を挙げるようになり、通算勝率で羽生善治に次ぐ2番手を、深浦康市らと長く争ってきている。
優勝者は、3人目である。
2002年度、第21回早指し新鋭戦で優勝。
和服での番勝負に臨んだが、ストレートで敗退した。無冠で六段の棋士がベストテンに入るのは異例である。
2005年度、第64期順位戦C級1組で渡辺とともにB級2組へ昇級。
投了の直後、「馬鹿すぎるー」というぼやきを連発した。谷川浩司は、この一局を「終盤の名局」であるとして、NHK将棋講座の中で取り上げている。
2006年に七段に昇段。
竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦2回連続優勝」から「竜王ランキング戦2回連続昇級」へ緩和された後に適用された初のケースである(なお、大平武洋、片上大輔も同じ条件で同じ期に昇段している)。これにより師匠(森信雄)の段位を、師匠が現役のまま複数の弟子(村山聖と山崎)が追い抜く、珍しい記録も作った。
2007年度、第66期順位戦B級2組で8勝2敗で1位の成績を挙げ、B級1組へ昇級。
2008年5月2日、第21期竜王ランキング戦2組の準決勝で勝利し、1組入りを決める。
久保利明に勝って賞金280万円を獲得した。賞金・対局ランキングでは1439万円で15位となり、出場枠の選出順で最後尾の16番目で第3回大和証券杯ネット将棋・最強戦への参加資格を得た。
2009年7月27日、第57期王座戦挑戦者決定戦において中川大輔七段を破り、タイトル挑戦を決める。
王座戦五番勝負では羽生善治王座に3連敗を喫し、タイトル獲得はならなかった。
エピソード、あだ名
涼しげで端正な顔出ちから、王子や将棋界のジャニーズと呼ばれることもある。あだ名「肉丸」に呼応して「ちん丸」というあだ名を持つ。
数手前に歩兵を打ったことを忘れたがために起きたハプニングである。 o 1998年 銀河戦 対・佐伯昌優戦 88手目△4八歩の後、94手目△4一歩 o 2004年 棋聖戦 対・小林裕士戦 83手目▲3九歩の後、87手目▲3三歩
(二歩の例 も参照) これは二代目候補と米長邦雄に言われた。
第64期名人戦第1局1日目で解説を担当。
第64期名人戦第1局2日目で、画面が中継に変わっている時機を見計らいズボンのベルトをゆるめて画面がスタジオに戻りその瞬間が映ってしまい、矢内を失笑させた。
あゆみ
1981年2月14日
広島県広島市に生まれる
1992
小学生名人戦第3位
1998
四段昇段
2000
第31期(2000年度)新人王戦優勝。
2000
五段昇段
2003.夏
第21回早指し新鋭戦優勝
2004
第35期(2004年度)新人王戦優勝
六段昇段
2005
第54回(2004年度)NHK杯将棋トーナメント優勝。
2006
七段昇段。
2009夏
大和證券ネット将棋最強戦優勝。
夢の対局とフルコース味わって 12日大阪で将棋ディナーショー
フランス料理のフルコースを味わいながら将棋の対局を観戦する棋聖戦盤寿記念ディナーショー「ザ・対決!!」が12日午後5時(食事は6時)から大阪市北区のホテル「ザ・リッツ・カールトン大阪」で開催される。
81期の棋聖戦で3連覇を達成した羽生善治棋聖(名人・王座)vs久保利明棋王(王将)、山崎隆之七段VS阿久津主税七段、橋本崇載七段VS糸谷哲郎五段の趣向を凝らした対決を観戦できる。
ドリンク飲み放題付きで会費は2万円、中学生以下は別のコース料理で1万円。当日の予約を将棋プロモーション((電)06・6445・3181)で受け付け中。
8月10日7時56分配信 産経新聞